陰キャ日記

とある陰キャの生態をつらつらと書いていきます

とある陰キャの生態(1)

  このブログに目的は無く、いわゆる「陰キャ」の一人が今まであったことや、最近身の回りで起きたこと、どうして人生こんな事になってしまったか等に関してつらつらと書き殴っていくだけのブログである。

 

 別に「『陰キャ』という言葉の定義をしよう」とか「存在を理解してもらおう」とかそんな高尚な動機はない。そんな学もないので。ネタにするも良し、不幸話オークションのダシにするも良しのチラ裏記事である。

 一応自己紹介もしておくと、自分は教室や職場などのコミュニティの端っこに一人はいる、某画像*1のどれかに該当するルックスの典型的な(?)陰キャである。

 

 まずどんな話をしようかと考えたときに、時系列で小さい頃から書いていこうかと考えたが、存在し得る陰キャエピソードをすべて思い出してそれを整理するのも大変だ。それに、自分の場合エピソードは思い出そうとして思い出せるものではない。大体の場合、ちょっとしたことや一瞬目に入ったものから、トラウマがフラッシュバックするように思い出されるのである。道を歩いている時、皿洗いをしている時、掃除をしている時etc...様々な要因はあるが、先程この記事を書く合間に珍しく料理をしたので、そのときに思い出したことを話そうか。

 

 この記事を読んでくれている諸兄が小学生だった頃には、調理実習があったと思う。児童が実際に料理を作り、調理の技能を勉強するという家庭科の授業の一環である。その授業においては、まず自分が触った調理器具は他の児童は触ろうともしない。小学生男子によくある「うわww〇〇菌がついたwww」というやつである。まぁ詳細はいつか話すかもしれないが、それ自体は自分にとってなんてことはなかった。何故ならいつものことだからである。しかし今回はその現場が違う。もちろん〇〇菌という菌は存在しないが、こと料理において菌という存在はまず排除されるべきものであり、先生も調理器具や手を清潔に保つことを事前に厳しく指導している。そのため、普段はあまりそういった下らない遊びをしない児童も、調子に乗って同じことを始めるわけである。〇〇菌を移しあった児童がみな一斉に調理器具や自分の手を洗い出し、「キレイにしなきゃwww」と騒ぎ出す。それを見た先生は烈火の如く怒り、児童を廊下に呼び出し叱り始める。全く腹立たしい話である。何が腹立たしいって、何故か〇〇菌感染者No.0の自分も一緒に叱られたことである。(先生は菌の名前になった自分が調理器具を汚したと勘違いしていたようだった)

 

  菌の話は陰キャ界隈で思い出話をすると割とベタなテーマであるが、出身地が違ってもある程度の内容は一致することから、自分の地方独特のものではないと思われる。いらないとは思うが断りをいれておくと、自分は物心ついてから風呂に入らなかったことは片手で数えられる程度であり、ワキガやその他持病もないため、何故〇〇菌が誕生したのかという心当たりは正直顔と性格以外に思いつかない。

 

 菌の話が出てきたので、連鎖的に思い出した内容に関しても書いておく。恐らくこの記事を読んでくれている諸兄の学校にも「席替え」や「班分け(グループ分け)」の文化は存在していたと思う。そのときによくあったのはあぶれた陰キャの押し付け合いである。「こいつと同じ班は嫌だ!」「仲のいい〇〇くん/ちゃんと一緒(or隣りの席)がいい!」という陽キャ様のご意見が炸裂するが、そう言われても先生も自分も困ってしまうわけである。特に先生は立場上児童を差別できないので、一応「そういうことを言ってはいけない」という趣旨のお叱りをしてくれるが、内心めんどくせぇなあとしか思っていなかっただろう。最終的に、公平にクジ引きで決めようという結論に至り、実際スムーズに事が進むわけだが、ここでまた新たな問題が発生する。自分の隣の席になった女の子が急に泣き出してしまったのである。もちろん特に自分が変なことをしたわけでもなく、ただ自分と隣の席になってしまったというのが理由である。あの時の「嫌なのはわからんでもないがそこまでか…(困惑)」という感情は昨日のことのように思い出せる。泣きたいのはこっちである。困ることに相手(ましてや女の子)に泣かれてしまうと、必然的に自分が容疑者、彼女が被害者の構図ができあがってしまう。(男子が女子を泣かせるケースが多発しやすい現場なので致し方ない話ではあるが)そんなこんなで自分が困っていると先生が来て、「(彼女に)何かしたの?」と自分に尋ねてくるが、自分は正直に「席が隣りになりました…(報告)」という他ないのである。幸いその時の先生は先程の家庭科の先生と違い理不尽な方ではなく、むしろ理解がある先生だったので、「そっか…(ちょい引き)」と告げた後、特にお咎めもないままいつも通り自分が悪者になって席替えは無事終了した。

 

 こういった交友関係、特に異性に関するトラウマ(ガチのトラウマで精神を病んでしまった方に比べれば大したことはないが)はその後の人生に大きく影響を与えたのではないか、と個人的には思う。自分からコミュニケーションを取りに行ったわけでもなく、存在自体が嫌悪されるとなると、必然的に異性との関わりは避けざるを得ない。人間は年齢を重ねるごとにそのコミュニティにおける社会的な立場が重視されるようになる。そんな中、女性に嫌われるようなことをした、不快な思いをさせたともなれば一瞬でその立場は悪いものになりかねない。現代社会で言えば、いい年こいたおっさんがセクハラで一発アウトになるのがいい例である。本来であれば、多少の間違いや失敗はあるだろうが小中高で異性との適切な距離感を学ぶのが一般的だが、自分の場合は関わりそのものを持つことがかなりのリスクを負うため、異性との関わりを避け、そういったことが分からない、学べないまま灰色の青春を送るわけである。そうして、そのまま体だけ一丁前に大人になり、女性相手に何を話したら良いかわからない、どこまで踏み込んでいいかわからない、適切な距離感がわからない…そんなおっさんになってしまった。もちろん仕事で事務的な内容をやり取りするだけならなんとかなる。(ここまでできるようになるまでかなり苦労はしたが) しかし女性と世間話をする、趣味の話をするとなるともうどうしようもない。流行りの曲やファッションもわからない。TVなんて飯時のNHK以外見ない。唯一分かるキモオタ趣味なんて口が裂けても語れない。そうなるとなるべく無難に、且つ早く会話を終わらせることを考える。そうすると内容に齟齬が生じたり、噛み、どもり、会話が停止…なんてことも珍しくない。俗に言うコミュ障である。こうして、どうしようもない閉塞感の果てにこれからどうしようか、いやどうしようもないだろう…と虚脱状態にあるのが現状だ。

 

 オタ趣味に関する内容も出てきたので、そちらにも触れておこうか。中高の多感な時期に、自分は必死に私欲を抑えながら勉強することに徹した。周囲からの拒絶と孤独感から、将来は一人で身を立てないといけないという恐怖があったからである。(元々頭は良くなかったので、かなり時間をかけてようやく人並みの知能レベルといった体たらくだった)しかし、どうしても限界はある。先述のような制限があるとはいえ、生憎その時点でストレスとは二人三脚の人生であったため、その捌け口を探さざるを得なかった。そんな中自分を救ってくれたのがオタ趣味だった。なるべく時間の制限はなく、最小限の労力でストレス解消ができる趣味…といえば格好はいいが、結局のところ自分が本能的に「心地良い」と判断したに過ぎず、周囲からは敬遠されがちな趣味である。しかしそんな趣味でも自分にとっては数少ない救いであった。オタ趣味を紹介してくれた友人には感謝しかない。こんなにも味気ない自分の人生に僅かな彩りをもたらしてくれたからである。陽キャからしたら「うわぁ…」と思うかもしれないが。

 ただ、これに関しては問題点がある。本来男女交際等コミュニケーションの経験を積んでおくべき時期にそういった代償行為で事を済ませることは必ずしも健全とは言い難い。恐怖からくる勉強の毎日の中で、今は耐えるべき時期だ、いつかは報われる日が来る、自分が読んでいる漫画やラノベのように…と必死に自分に言い聞かせる。そんな中で女性や交際への理想だけが膨れ上がり、結果自分にそんな才能も力量もないことを知った時、色々なものを犠牲にした上で自分が手に入れ得るものと、思い描いた理想とのギャップに幻滅し続ける羽目になっている。

 「怒りの葡萄」という作品がある。元は小説だが映画化もしているそうだ。世界恐慌を迎えたアメリカで、資本主義の弊害と不作による貧困から故郷オクラホマを追われた一族が、仕事があると噂されているカリフォルニアを目指して過酷な旅に出るというお話である。「カリフォルニアにさえ辿り着ければ」、「この苦しい旅を終えさえすれば」、「あそこではこんな理想の暮らしが…」と成し得る幸せを求めて耐える様は、比較するにはあまりにも失礼で矮小な話ではあるが上述の内容と通ずるものがあると当時の自分は信じていた。なお、同作品における旅の結果に関しては是非諸兄にその内容を読むなり観るなりして頂きたい。(完全に個人の趣味の話ではあるが)

 とにかく、このように人間の想像力(この場合は妄想力?)というものはたくましく、生きる原動力とまではいかないが、支えくらいにはなるものである。しかしながら、膨れ上がり過ぎた理想はやがてその重さで自身を押し潰し、時間が経つほどに自らを生きづらくする。自分はやがてこいつと墓まで添い遂げることになるのかという不安が募る中、今日も一人布団の上で考え事ばかりしている。

 

  あまり一記事が長くなっても仕方がないので、今回はこの辺で締めさせて頂く。ネットの片隅でサービス終了まで誰の目に触れることもなく終わる線が濃厚な当ブログであるが、もし、こんな拙文を最後まで読んでくれた方がいるならこの上ない感謝を申し上げたい。続きに関しては、書き溜めの校正が終わり次第といったところだろうか。